浦河百話 ­第三編 大正の時代(第三四話~第六三話­)

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繁栄を用意した市民の時代

大正という時代は不思議な時代である。明治でも昭和でもない。紛れもない大正という時代があって、終戦までの町の歴史のなかでは、光のように輝く十五年である。 
この時期は、浦河にとってもいわば現代の始まりのような時代で、私たちの今の暮らしぶりの雛型がすべて用意されていた。電燈がつき、電話がひかれ、映画が盛んになり、新聞が発刊された。人びとは自転車に乗り、オートバイに跨った。乗合自動車に乗った。ラジオ放送が始まり、飛行機が飛んだ。来たるべき市民社会を予感させるような、自由で希望に満ちた時代だった。明治に較べて、格段に生活事情が良くなったわけでもないのに、人びとはその息吹を感じ、それを大きく吸いこんでいた。本編はそうした気運が浦河にも満ちていたことを伝えている。 
明治十年(一八七七)の西南戦争以来、内戦も絶えてなく、明治政府が提唱した富国強兵、殖産興業は着実に実を結びつつあった。これに加えて、前代の日露戦争の勝利は国民に大きな自信を与え、国家も国民も拡大拡張の気運のなかで樺太へ、千島へ、台湾へ、朝鮮へと進出を続けていた。大正という時代の気風は、そうした国家的な動きと無縁ではなかったはずである。たとえそれが帝国主義・植民地主義的な拡大気運であったとしても、国民は確かにそれを受け入れていたのである。 
明治、大正、昭和三代のなかで、新事業開始の話の一番多いのがこの時代である。「西舎孵化場覚書」「高木靴店繁盛記」「大黒座七十年」「ハーレイダビッドソン」等々、新しい技術や事業、遊びに取り組んだ話が十六話にも及んでいる。山でも町でも海でも、新しい試みが行われていた。その最もたるものは、遠い時代から浦河人の願いだった浦河港の築堤に着手したことである。これにともなって、大通四、五丁目あたりに偏っていた町の中心が、港に面した二丁目、三丁目、浜町に移ってきはじめ、港湾の人びとをあてこんだ“若松”や“海月”をはじめとする割烹、飲み屋のたぐいが居を構え、昭和の繁栄を準備していた。 
早くから日高の漁師のメッカとして栄えた浦河は、古くから東北各地から沢山の漁師が集まった町であった。本編では漁業関係、特に遭難に関する貴重なエピソードを三篇、漁場開拓、新漁法の話をそれぞれ一篇ずつ取りあげた。先人の、特に浜では悲劇の上に新しい漁法も漁場も築かれている。

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